『ディア・ドクター』

      

ようやくようやく、『ディア・ドクター』を観にいく。

こんなにも骨太な脚本はやっぱり西川監督にしか書けなくて、畳かけるような緻密な構成も、緑がまぶしいカメラワークも、さりげなく深く刻まれる台詞の数々も、久々に、いつものTVドラマの延長みたいな商業主義映画じゃなく、正当でまっとうな、作品として成立する映画をみた気がして、なんだかすごくうれしくなる。



決して分かり易い話ではない。腑に落ちる結末ではない。でもそうゆう一見つじつまの合わない、勧善懲悪で片づけられないところこそが人間だったりするし、わたしたちは、何より、すべてがストンと腑に落ちない、曖昧で混沌とした世界に生きているのだ。

それは別の立場から見れば善にも悪にもとれるし、むしろ沈黙を守ることが美学だったり悪だったりもするし、善を装って人を欺くことも正義を貫くことも平気でできてしまったりする。

伊野医師がどうゆう経緯で医者になったかは語られない。でも村の人を助けようと医者を続けたことは本当に嘘だったのか。秘密を隠し通せず、家族に本当の病名を告げたことは、罪に苛まれながら失踪したことは、それでも患者の前に再び顔を出したことは誠実さゆえの行為ではなかったか。痴呆の父親に見せた吐露は果たして良心の呵責からではなかったか。

何が嘘で、罪で、正しくて、まっとうかなんて、いったい誰が決められることなのだろう。小さな閉鎖された世界で神として崇められていた男が、法律上は罪を犯していたとしても、村の人にとってはやっぱり犯罪者だったり、やっぱり神だったりする。糾弾されるべきは医師なのか、警察なのか。いや、真実を知りながら語らなかった者か、村人そのものか。

嘘とは何か、真実とは何か、偽善とは、常識とは、本物とはいったい何なのか、愛すべきニセ医者は、あまりに脆くて不確定な世界のありようを浮き彫りにする。