Wofür lernst du ?

最後と思っていたドイツ語の試験が終わりました。日本に帰ったら、語学を使う機会もなくなるし、まあ、最後の記念ってことで。もう完全に趣味の世界だったんだけど、意外にてこずりました(笑)。

これからもう、ドイツ語をガチで勉強することもないんだなーって思ったら、ちょっとしんみりした。ことばって生き物で、使わない以上、これからどんどん忘れていっちゃうんだろうなあと思うけど、ほぼ10年、ことばを通してひとつの国を見つめてきたことを、忘れないでいたいな、と思ってます。


以下、まとまらないけど、ことばを学ぶことについて、雑感など。

いちおう、今のところはドイツの会社に勤めているので、使う機会が全くない訳じゃないけど、それでも普段の生活と仕事は、大半が日本語と英語になる訳で、自分のここ半年をみても、瞬発力のようなものは、やっぱり鈍っていくなあと感じている。わたしの中の勝手な感覚だと、外国語を話すっていうのは何となくアタマの中に別の回路ができるようなものだと思っていて、母国語を介して考えないってのは当然のことだけど、その回路とジャンクションのようなものが太くなればなるほど、スムーズにいく気がする。そしてもちろん、それは使わずにいると衰える。

帰国子女やハーフのひとはいざ知らず、わたしのような大学に入ってから語学を始めたような人にとっては、ある程度の切り換えスイッチみたいなものってあるんじゃないかなあ、と勝手に思っているんだけど、どうだろう。とりあえず私は3ヶ国語をそうやって使い分けている気がする。

18歳から第二外国語で始めて、専攻して、渡独して、ほぼ10年ドイツ語をやってきた訳だけど、(よく考えたらきちんと勉強した記憶は転部試験の時くらいしかないんだけど)、語学をやっていて、痛感したことのひとつは、語学の習得や試験の結果っていう成果ももちろん大事なんだろうけど、何より統計的にものごとを考えるとか、自分の限界や不得意を知ってそこからどう修行できるか、みたいな訓練としてのツールだったんじゃないかということで、そう思えたことのほうが外国語を習得したことよりもずっと大きい。それは本業・学生だった頃には気づけなかったことで、大人になってもネチネチと続けてきたからこそだなと思っている。これは、数少ない、10年続けてよかったなあと思えることのひとつです。

なんとなく小さい頃からドイツという国に惹かれるところが多分にあって、言葉を知ることを通して、国の在り方やメンタリティーみたいなものを、身に染みて学べたこともたくさんあった。想像と違う、シビアな現実もたくさんあったし、一筋縄じゃいかないところも多かったけど、基本的なところは、幸か不幸か、全然ブレない国だった(ゲルマン的に融通が利かないとか、かたくなとも言うけど)。そのあたりも無駄じゃなかったと思い込んでおきたい。そうしないと収まらないところがたくさんある(笑)。

それから、語学を学ぶことを通して、自分の限界や才能のなさのようなものも痛い程思い知った。10年間サラサラさっそうと言葉を身につけていく人をたくさん見てきたし、語学の才能って本当にあるんだなあと、しみじみ思う。10年やってこれしか話せないんだから、やっぱり、そうゆうことだ。

これからどうやってドイツに関わっていこうかな、みたいなことは、正直、まだちょっと考え中です。10年じゃわからないこともたくさんあるし、あの頃はよかった的な方面に向かうのも怖いので(笑)、自分なりに肩の力を抜いて、ゆるゆるやっていきたいなと思ってます。そんな10年のひと区切り。